サルトル先生との会話 vol.6

「サルトル先生、どうして人は、他人のことをそんなに心配するのでしょうか。」

「自分のためにじゃ。他人のことを心配していると、自分の心が安定するのじゃ。自分の存在価値を感じることができる。」

「心配される方は、迷惑と言うのがあるんですよ。」

「う〜ん。特に親子関係で多いことだが、親は子供のことを心配し、子供はそれをうざったいと思う。」

「僕の場合には、自分ではすでに解決しているようなことに、なんとも上から目線で、アドバイスをしてくる人がいると頭にくるんです。」

「多分、アドバイスを受けること自体が問題ではないように思うが。」

「どう言うことでしょう。」

「素直にアドバイスを聞ける相手もいるじゃろ。」

「はい、もちろんです。」

「その違いは何じゃ?」

「僕の場合は、端的に相手の価値観の問題だと思っています。自分の価値観の近しい人の意見は聞けるが、遠い人の意見は聞けない。」

「いや、違うな。君は、価値観の異なる人の意見も十分聞いている。」

「多分だが、君を怒らせるような何かが相手に存在する。なぜ、意味は怒っているのだ。」

「う〜ん。自分のことを認めてもらっていないと感じるからでしょうか。」

「認めてもらえないと感じる。それは、劣等感だね。劣等感は、支配的な感情によってより引き出される。」

「つまりは、相手が、僕を認めずに、支配的になっていると感じる時に、僕は相手のアドバイスを素直に聞き入れる事ができない。」

「そうそう。自分で分かっているね。そして、もう一つ。アドバイスは全部素直に聞き入れなければならないと思っていないかね?」

「そう言われると。それが礼儀だと思っていました。」

「表面上、礼儀というのは大切だが、心の中で取捨選択して良い。自分に役立たないと感じるアドバイスは、受け入れる必要がない。ただ、相手の自己満足の場合だってあるのだ。」

「そうなんですか。」

「他者への心配というのは、基本的には、愛情表現だ。ところが、これが歪んだ形で反映されると、自己承認欲求や自分の存在価値を確認するための感情となる。」

「つまり、自分の自己顕示欲のために、相手を心配することもあるということですか?」

「まあ、そういうこともある。ただ、勘違いしてはいけない。相手は、あなたのことを心配している。自己顕示欲のことなど気づいておらん。」

「え?」

「だから、取捨選択して良い。アドバイスを受けるか受けないかは君が決めて良いのだ。大切なのは、自分の軸を持つということだ。相手からの働きかけによって、自分が吸収できるものがあれば、取り入ればよろしい。今はそれは不要だと思えば、相手がどのように考えているかどうかを考える必要はなく、受け入れなければ良い。」

「はい。」

「君は、十分自分で判断できる力を持っている。相手に気を遣い過ぎるでない。もっと自分ファウストで良い。その結果が社会全体のためになる。小さなことに無駄なエネルギーを使うな。」

「分かりました。自分の軸がブレないようにします。相手のペースに巻き込まれないようにします。」