高校生だった頃

さて、

「昔は、良かったなあ。」

という言葉を聞くことが多い。

では、あの頃は良かったというのは、本当だろうか。

最近、高校生や大学生が多く来院されるようになったので、彼ら彼女らの苦しさを聞く度に、私は自分が高校生だった頃を思い出す。

まあ、昔の思い出というのは、楽しい思い出ばかりが強調されるのかもしれない。部活動や文化祭の思い出。下校時に立ち寄った紅茶屋さんの思い出。そんなこと。

しかし、よくよく思い出してみると、今よりずっと葛藤だらけだった。

まず、高校生や大学生くらいの頃、私が抱いた疑問はこうだ。

「本に書かれたことに嘘はあるのか?」

ふと、思ったのだ。そう、人間が本を書いている限り、嘘もあるかもしれないと。今となっては、時代が変われば、真実も変わるため、異なる価値観なども理解できるが、当時は、不思議でならなかった。

そして、思考が制限されていた。

例えば、誰かに何かを教えてもらわないと、何かを習得できないと思っていた。また、習得するには、ある一定の過程をふまないと、一人前になれないと思っていた。

研修医の頃、医者は、ある専門性を持たないと生きていけないと先輩方に言われたことも同様だった。

全部、何か規定の枠組みにあてはまらないと生きていけないと思っていた。

でも、私の心は、何か、枠組みに当てはめようとすると、とても窮屈で苦しかった。でも、そうでないと大人になれないと思っていたので、高校生のころは苦しかった。

大学生、研修医、大学院生、勤務医と肩書きが変わるにつれ、自由度が増し、今が、思考、行動の上でもっとも自由である。

自分が願うと、自分の思い通りになる。

既存の枠組みにない仕事は、自分で仕事を創り出せば良い。

既存の枠組みにない医療は、自分で創り出せば良い。

そのほうがずっと楽しい。

だから、私は、あの頃は楽しかったということはなくて、今が一番楽しいのだ。

年齢を重ねるということは、リスクを考えて、行動しないということではなくて、むしろ経験を重ねることで、リスクを過大評価しすぎていたことに気づき、大胆に行動できることだと思う。

高校生や大学生に伝えたい。

生きるということは、もっと自由だ。恐れないで。

「守護霊さま、私の思いは、高校生に届くでしょうか。」

「押し付けはいかん。ただ、見守る。それだけなんじゃ。」