死について思いを巡らす
先日、予防医学講座で、死について、みんなで考えた。
これは、実は、自治医科大学にいた時に、恩師の梶井英治先生から教わったことだ。
梶井先生は、市民向け講演会で
「私もいつかは、病気になって医者にお世話になる時がくる。そして、最期を迎える。時々、家族と食卓でそんなことを話題にするんですよ。」
と切り出したのを覚えている。会場がざわざわする。
「え、教授も人間なんだ〜。」と聞こえてきそうなくらいだった。
梶井先生には到底及ばないが、市民向けのセミナーでは、私も楽しみながら話している。
「あなたは、今日、今から死ぬとします。どんな場所で、誰と、どんな話をしているでしょうか。想像してみてください。」皆に目を瞑って瞑想してもらった。
ある人は、コスモス畑の中で死ぬと言い、ある人は、家族や友人にお別れの挨拶をしていると言う。みんな、何やら楽しそうに話していた。
私は、桜が咲く季節、温かな昼下がりに、畳の部屋で静かに息を引き取りたいと思っている。うっかり救急車で運ばれ、救命処置をされてはかなわないので、かかりつけ医を作っておかなければならないなあ。
死をタブー視して、普段、話題にしないと、死は恐れの対象でしかなくなってしまう。でも、普段から意識して、どんな風に死にたいのか、考えておく必要がある。これは、すなわち、生き方に直結するのだ。墓場に持っていけるものなんて、無いのだから。
今を一生懸命生きよう。