私はカウンセリングが苦手です。ご了承ください。

私は、カウンセリングが苦手だ。

「え?」

と思われるかもしれない。

「沙耶花先生は、心療内科の医師ではないのですか?」

「いいえ、違います。私は、総合診療医として心療内科を標榜しています。」

というのは言い訳だが、世の中に言う「カウンセリング」と私が提供している診療は全く異なる。

では、どのように違うのか説明しよう。

まず、「カウンセリング」の基本は、傾聴である。こちらでジャッジせずに、ひたすら受け身になって相手に寄り添って話を聞く。つまり、結論は要らないのだ。相手が困った状況であり、解決に、痛みを伴う場合、そんな痛いところにメスを入れたりする必要はない。

「それは、大変ですね。」

と患者さんの涙に寄り添い、共感し続けるのだ。

では、私の診療はどうか。誤解しないで欲しいが、私は、毎日の診察室での患者さんとの会話を楽しんでいる。患者さんの問題点を明確にし、その人に必要なメッセージを伝える。どうしたら、この人が前に進めるかを考え、今、どうしても必要なことを伝える。

ズバリ はっきりと、伝える。

もちろん、相手の状況に応じて言葉を選んでいる。患者さんが、自分の人生に責任を持ち、自分の人生を開花するために何が必要なのかを考え抜いて話している。

ほとんどのキーは、触れられたくないマイナス感情にある。劣等感、嫉妬、プライド、悔恨。などなど。そのマイナス感情に触れる。

おそらく、親にも夫にも触れられなかった、誰にも触れられたくなかった部分に触れる。

私からのメッセージを聞いて、涙を流し、何かを感じ、成長していく人も多い。私は、そこにやりがいを感じるのだ。

一方で、一般的な「カウンセリング」を求めて来た人というのは、単に話を聞いて欲しいのであって、解決方法は求めていない。可哀想な自分でいたいし、問題は自分の外側に求めたい。だから、私が、「問題はあなたの外側のではなく内側にあるのですよ」と、本人のマイナス感情に切り込むと

「先生に怒られた。」

「上から目線で物を言われて不快だ。」

と言う感想を持つ人もいるだろう。仕方のないことだ。なぜならば、人が変わるためには、チャンスが必要だから。

開業して5年経って分かったこと。

私が提供している自立した健康づくりというのは、日本の依存的な「お上思考」を持つ人には、かなり酷だということだ。

心療内科を標榜する医師は少ない。それゆえ、新患患者の問い合わせも多い。

もし、あなたが、「カウンセリング」を求めて、さやかクリニックを初めて受診しようと思うなら、お勧めしない。どうか、優秀な臨床心理士か、よく話を聞いてくれる医師のいる他院を受診して欲しい。

患者のニーズと医者のサービスがミスマッチングの場合、お互い不幸になる。

当院は、本気で自分の人生に取り組む意思を持った人、自分のマイナス感情に向き合う意思のある人に限らせて頂いている。

こちらも本気で、あなたの人生のサポートをさせて頂いている。

それゆえ、私は、一般的なカウンセリングが苦手です。そして、比較的傲慢で上から目線です。ご了承ください。