鬱にならない考え方

診療でカウンセリングをしている時に患者さんにアドバイスすること。

それは、「人の家(領域)に入らない。」

家とは思考や領域のことを例えたものだ。人の領域に入らない、人の考え方には踏み込まない。これが、メンタルケアの基本である。

何故ならば、うつ状態にある人は、およそ、他者に対して悲観的な思い込みをする。

「Aさんは、挨拶してくれなかった。私のことを嫌いなはずだ。」

「Bさんから、仕事のダメ出しをされた。私は仕事ができないから、Bさんは怒っているはずだ。」

本当にそうだろうか。

Aさんは、挨拶が聞こえなかっただけかもしれないし、別のことに気を取られていたのかもしれない。

Bさんは、単純に仕事の訂正を指示しただけかもしれない。

人の思い込みは強い。

「いえいえ、先生、本当にAさんは私のことを嫌いなんです。」

「いえいえ、先生、本当にBさんは怒っていたんです。」

仮に、Aさんが〇〇さんを嫌いだったとして、Bさんが怒っていたとして、何か関係あるだろうか。

相手がどんな思考パターンで、その様な行動がとるのかは、考えても仕方ないことだ。

人の家(領域)に土足で入らないことだ。もし入りたいと思ったら、玄関でチャイムを押して、Aさんに聞いてみれば良い。

「Aさん、私が挨拶した時に、挨拶してくれませんでしたよね?私のこと、嫌いですか?」

「え?何のこと。ちょっと朝、夫婦喧嘩をして、そのことで頭がいっぱいだったの。その時、挨拶されたことに気づかなかったのかもしれないわ。ごめんなさい。」

とか

「Bさん、私の仕事が間違いばかりですみません。私が、仕事ができなくて、呆れていますよね?」

「え?何のこと?私は、ただ訂正を指示しただけよ。私も昔はここ、よく間違えていたから、気持ちがよくわかるわ。頑張ってね。」

みたいなことも考えられる。

いずれにしても、勝手に悲観的な妄想で盛り上がるのをやめよう。相手がどう考えているかを考えるのはナンセンスだ。それよりも、自分の行動に目を向けよう。自分の行動が誠実であれば、それで良いのだ。

ところが、私が出会った人の中には、恐ろしいほど楽観的な人もいる。最初から、相手の反応に裏がないと考え、楽観的に捉えている。

相手の家に入っても、悲観的ではなく楽観的に、そして中立的に捉えることができれば、鬱になることはない。

もしかしたら、相手の思考領域に入るか入らないかではなく、自分の思考をいかにニュートラルに、中立的に保つことが重要なのだろう。

色眼鏡を外して、中立的に眺めてみよう。

自分からうつ思考にはまらない様に気をつけよう。