猫みたいに生きる
「時は金なり」と言うことわざをご存知だろうか。
昨日の話の続きで、どうして、いつから私は、こんなに急いでるのだろうかと考えてみた。ちょうど2年半ほど前に太田に引っ越してきたときに、夫に言われた。
「さやかはどうしてそんなに急いでいるんだ。どこまで行くつもりなんだ。」
え?自分は急いでいるつもりはないし、焦っているつもりもなかった。ただ、夫がのろまなだけだと思っていた。
ところが、今になってよく分かる。
今まで、随分と突っ走ってきたな〜と。そろそろ、速度より深さを追求する時が来たようだ。
気づけば、それは、中学校くらいから始まったのかもしれない。
勉強は楽しかったが、いつまでこれが続くのだろうと、ふと高校生のころ思ったことがある。
この、焦り、せっかちは、どこから来たのだろう。
そうそう、両親から引き継いでいるのだ。父親も母親も、今でも「速く早く」が口癖である。
レストランにご飯を食べに行っても、父親は自分が食べ終わると、席を立つ人だった。私たち子供は皆食べていると言うのに。
母親は、仕事に行くと手が速いと有名だった。社長である叔母さんは、いつも
「あき子は手が速い。あき子は仕事が速い。」と言っていた。
今から思えば、おばさんは人に仕事を任せるのが上手だった。飴と鞭をうまく使い分けていたやり手の女社長だったんだと思う。
そんな家庭で育った私の価値観の最優先は、速く、そして損をするな。なめられるな。と言うことだったようだ。
マインドマップも速読法も全て、自分の脳のスピードに現実を合わせるために、学んだ。インプット、アウトプットを猛スピードでやって来た。
自分の思考を現実化するために、突っ走って来た。
もう、元来、のんびり屋の私に戻ろう。
おそらく、スピードの感覚が変わって来て、今までは、自転車で猛スピードで走って来て、それが、軽自動車になり、普通自動車になり、それぞれの車で、最大速度で突っ走って来た。
そろそろ、ドラえもんの四次元ポケットが出て来て、どこでもドアを開けると、次の世界に行けるようになると良いな。
走らなくても、世の中に影響を与え、世の中を良くする事ができる時代がやって来た。
それが、まさに、インターネット、AIの力だろう。
そうだ、猫みたいに生きよう。