二兎どころか三兎を追え
さて、清水市長との対談の続きである。
清水市長の著書には名言が多い。
「しっかり考えるより、いろいろ考える。」
昔からのことわざで、
「二兎追うものは、一兎も得ず。」
とある。
学校では、言われた。あれもこれもやるよりも
一つのことをしっかりやりなさい。
そして、考える順番も、基礎からしっかりやりなさい。
基礎からやって応用をする方が良いと学校では教わる。
しかし、私は小さいころから、なぜか、ランダムに習得してきた。
だから、応用ができるのに、基礎テストでつまづくということが良くあり
学校の先生に叱られたことがある。
例えば、高校の物理学のテストで、誰もが解けない難題ばかりの中間テストがあった。
まぐれか何か分からないが、私はダントツで高得点だった。
そして、次の期末テスト、先生は、問題が難しかったと反省したのか、問題は易しくなった。
とたんに、私は、トップの座を奪われ、平均点程度しか採れなかった。
その時、物理学の先生に言われたのは、
「関根さん、基礎からしっかりやりなさい。」
と。先生は、私が応用問題が解けたので、基礎的問題となれば、当然できると考えたらしい。
私は、その時、猛烈な劣等感に襲われたのを覚えている。しかも、自分はできると勘違いしていた時の先生の一言だったから、それも強烈だった。
今の私であれば、あまり気にしないが。
そして、昔にさかのぼると、小学校時代に、珠算を習っていた。
ある一定の線を超えると、急激にそろばんをはじくのが正確になり間違えなくなった。
年に一回、大きな読み上げ大会が分化ホールのような所で開催された。
大会当日、非常に長い桁数から、読み上げ算が始まった。
順次、先生が読み上げるとてつもない桁数の数字を順番にそろばんで弾いていく。
自分で、どこかで間違えているかもしれないと思いながら、最後の数字を弾いたら答えが合っていた。
数百人の中、私ともう一人、手を上げて、
再度、二人で競い、私が優勝した。
何か、とてもうれしかった。頭の中に、電球がついた気がした。
トロフィーをもらう時、先生から「関根くん、おめでとう。」と言われた。
髪の毛が短かったので、男の子に間違われて恥ずかしかった。
翌年、また、期待を背負って、大会に出場した。
この年は、なぜか、小さな桁数から読み上げ算が始まった。
大会の方法が、勝ち残り戦に変更されたのである。
私は、最初の何回かで、あっさり間違え、入賞すらできなかった。
このときも、とても悔しかったのを覚えている。
昔から、全体像を捉えて、ゴールを見据えてからでないと
覚えられないし、行動できなかった。
大学受験も、医学部の試験問題も、国家試験も、すべて、過去問をとことん調べて
その答えを考えることから始めた。
基礎からコツコツというのが嫌いだった。
その手法は、今でも役立っている。
つまり、どちらでも良いと思う。
一から覚えて十まで行っても、十から覚えて一に戻っても、ランダムに覚えても。
しかし、学校では一から覚えることを強要する。
そして、二兎追うのではなく、一兎をしっかり順番に追って行けと。
そうじゃないと、一兎も得られないからと。
だから、清水市長に会って
「ゆるりと始めて、何となく形になっていけばいいじゃないか。」
「福祉も医療も、教育も、何でもいいじゃないか。やってみれば。」
と言われた時には、涙が出るほど嬉しかった。
何だって良いのだ。
志があれば。
私たちの行きたい場所、ゴールの方向さえはっきりしていれば
方法なんて、順番なんてどうでも良いのだ。
なんて、柔軟なんだろう。
柔軟な大人に出会うと、子どもはもっともっと夢を見ることができる。
私は、子どもにとって、そんな風に、柔軟でかっこいい大人でありたい。