ミクロの世界で正しくても、マクロの世界では?
経済学の用語で、「合成の誤謬」という言葉があるそうだ。
ミクロ(企業や個人)が正しい行動をとっても、マクロ(世の中、政府)としては、間違ってしまう。という意味だそうだ。
例えば、
ミクロの世界では、企業が、一生懸命、経費を削減し、生産性を上げて、頑張って仕事をすると、
マクロの世界では、供給が需要をうわまり、デフレを引き起こし、不況が続く。
だから、個人、企業が、ミクロな視点で考えることに任せておくのではなく、政府がマクロな視点で、大規模な経済政策、消費税を下げて、消費(需要)を増やすようなことをする必要がある。
というようなことがMMT理論として、経済学の分野で議論が始まっているそうだ。
これは、実に面白いと思った。
何かと言えば、医学にも全く同じことが当てはまるのだ。
ミクロの世界(専門医)では、各専門分野で良かれと思って施した治療が
マクロの世界(総合医)の立場から見ると、生体エネルギーを歪めてしまっていることがあるのだ。
ミクロの世界の専門医が頑張れば頑張るほど、そして、患者の専門医志向、大病院志向が進めば進むほど、人間の生命エネルギーは下がることになる。
こんな時、いくら、専門医の間で議論しても無駄である。ミクロの視点では、正しいのだから。これは、総合医のマクロな視点で、抜本的な改革が必要なのだ。
「そもそも、その検査は必要ですか?」
「免疫力を下げる治療をして、大丈夫ですか?」
「そもそも、あなたは、何歳まで生きたいですか?そして、どこで死にたいですか?」
そんな、生命の尊厳を大切にした視点で、患者に向き合った時、解は病院内にないことも多い。
だからこそ、
「病院を出よ。まちへ出よ。」
さて、上記のことは、経済学、医学に限らない。あなたの悩みは、ミクロな視点で解決するだろうか。
たまには、視点を変えて、マクロな視点で眺めてみよう。