金持ちの子は金持ちは本当か?

昔から疑問だったことがある。

お金持ちの家は、代々お金持ちだったりする。

貧乏人の家は、代々、貧乏人だったりする。

起業家の家は、代々、起業家で

サラリーマンの家は、代々、サラリーマンで

教師の家は、代々、教師で

医者の家は、代々、医者で

公務員の家は、代々、公務員で

と言うのを、小さい頃に、不思議に思ったことがある。と言うのも、私の家は裕福ではなかったが、小学生六年生の頃にふと思い立って、両親に塾に行きたいと言った。その時、たまたま親戚が塾を経営しており、中学受験コースは、5教科お得に教えてもらえると言うことで、進学コースに紛れ込んだ。せっかく通ったのだから、受験もしたらと言うことで群馬大学附属中学という進学校を受験したら、たまたま合格したのだった。

その時、小学校から中学校に入学して、関わる友達も変化した。友達の家に行くと、決まって、その家のお母さんが、手作りのお菓子を出してくれたり、ご飯をご馳走になったりした。誕生日会に呼ばれて行くと、ものすごい広いリビングとか大きなテレビに驚いた。苺を綺麗にお皿の上に並べて食べたり。大きな車に乗せて、どこかに連れて行ってもらったり。

とにかく、自分の家では考えられないことだったので、今から思えば、混乱していたのだろうと思う。

友達が、高校受験する段階になって、公立の進学校と言えば、前橋女子高校か、そのほかは、私立の格式の高い高校に進学して行った。このとき、小学校の時の友人が行く高校とは、違った。進学先は、成績で決まると思っていた。学力や成績だけではない、家庭環境が進学先に影響しているようだったのだ。

親から受け継いだ家柄によって、人の人生は決まってしまうのだろうか。

と考えた時、実は、その家柄は思考そのもので、逆に言えば、思考を変えれば、自分の人生は何者にもなることができるのだはないだろうか。

とすると、私の妄想ぐせは、ますます加速化した。

例えば、想像する。

「大企業の経営者は、どう考えるのだろうか?」

「海外をまたにかける営業マンは、どんな思考なのだろうか?」

「売れっ子の作家はどんな1日を過ごしているのだろうか?」

「ハワイと日本を行き来してビジネスを展開している人の1日はどんなだろうか?」

時間の使い方も、お金の使い方も、コミュニケーションのとり方も全然違う。でも、思考パターンさえ、自分の制約を外してしまえば、自分は何者にもなれるのではないだろうか。

先日話したエピジェネティクス こそが、その鍵を握る。思考パターンもお金の使い方も時間の使い方も、あらゆる癖を遺伝子のスイッチとして親から受け継いでいるとしたら、そのスイッチのオンオフを自分で調整すれば、親とは全く異なる人生を送ることが可能なのではないだろうか。

自分の人生を、家庭環境や親のせいにするのはやめよう。自分らしい人生を送るかどうかは、あなたの思考にかかっているのだ。