自立した健康づくり

人間の健康、幸福に興味がある
私自身は、人間の健康に興味があり、人が健康で幸せに自分らしくいきいきと生きるために、自分に何ができるか追求したくて、医者になりました。
医学部では、多くのことを学びました。現代医学が発展して、生まれて間もなく亡くなる乳児、感染症、怪我や事故で亡くなる人は劇的に減りました。その結果、人間の寿命は長くなりました。一方で、難病は増えるばかりで、慢性疾患の治療は複雑化していると感じました。

研修医時代に感じた医療への違和感
私は医学部を卒業し、大学病院での研修が始まると、医療現場での違和感は大きくなっていきました。
まるで、人が、医療というベルトコンベアーに乗って、自分の意思とは切り離れて病気の治療が行われているようでした。まるで、患者さんは自分の人生の一部を、医者に切り渡してしまっているように感じました。研修医である私は、患者さんの意向がどこにあるのかをいつも探していました。そして、指導医との間の調整役のようなことをしていたように思います。

手術を前にして動揺する患者
私が乳腺外科で研修している時、手術前の50歳代女性患者に、指導医と一緒に手術の説明をしていた時です。指導医が部屋から出ていった後、不安な表情をした患者が、私にこんなことを言いました。
「先生、私は手術をしなければいけないのでしょうか。手術以外の方法で良くなる方法はないのでしょうか?」
部屋に残されたのは、研修医である私と、女性患者とその旦那様の3人でした。私は慌てて、指導医を呼びに行き、再度手術の説明を患者と一緒に聞きました。翌日に手術を控えていた患者の治療方針を変えることはできませんでしたし、患者の不安は払拭できたかどうかは確かめることもできませんでした。

患者は医者に意見を言えない!?
この症例で伝えたかったことは、患者の意思を医者に伝えるのはとても労力が要るということです。そして、多くの患者は、自分に人生を決める決定権を忘れて、医療側の方針に従うことになります。
この世の中で、「医療」という概念が肥大化していると感じています。本来大切なのは、自分の「人生」であり、医療はそれをサポートする形で存在するべきです。

医療は、患者のサポートであるべき
現代医療だけでなく、古来より伝わる伝統医療、自然療法を取り入れた統合医療にこそ、本来の医療の本質があるように感じます。本来、人間が本来の自分に戻すために、自然の力をお借りして、健康を維持していく。その自然の力の借り方の知恵が、医療そのものなのではないでしょうか。
そして、医学の根本は、依存ではなく自立なのです。病気は医療者が治すのではなく、患者自身が治すのです。そして、人間の幸福は、健康の上に成り立っていますから、人生を考える時、病気になってから治すのではなく、予防することにシフトしていく必要があります。

依存からの脱却
依存からの脱却は容易ではありません。私は、開業し、統合医療をベースにしたクリニックで、日々、患者様と向き合っています。そして、本質的な医療を追求しています。
ところが、ふと気づくと、患者さんと医者である私との関係性は依存関係に陥ってしまいがちです。これが、何と、周囲のスタッフとの間でもそのようになりがちだと気づいた時には、私も落ち込みました。
医療者である看護師と間は、自立した関係性を築けますが、事務スタッフは、医療知識がないので、私からの情報伝達が一方向性になりがちなのです。その結果、自分で疑問を思ったことを院長である私に伝えにくいという状況が生まれてしまいました。

原点に戻る
もう一度、私は、医者として、原点に立ち返る必要があると感じています。「医者」という看板を掲げている限り、周囲の人に依存される立場になりやすいのです。それを脱却するためには、学びを提供する教師になる必要があるのだろうと思っています。「学びながら健康になる」自立した健康づくりを提供するためには、私自身が、「医者」という鎧を脱ぎ、学び合う人間に戻る必要があるのかもしれません。それを気づかせてくれたのも、仲間の一人でした。

仲間と一緒に創り上げる世界観
現代医療であっても、統合医療、自然療法であっても、依存から脱却しなければ何も始まりません。そんな世の中の概念を変えるような社会活動を、私は生涯かけてやり続けていきます。時に、「医者」という鎧も使わせてもらいながら、私は健康・幸福とは何かを伝える者として、根気強く活動を続けていきます。