自分の人生を生きる

さて、あなたが、自分の人生を生きようとすると、天はあなたを応援してくれるはずだ。そんな人生の使命を、議論してみよう。

久しぶりにココ先生に登場してもらおう。

「ココ先生、人はどうしたら、自分の人生を追求することができるのでしょうか?」

「多くの人は、人生を追求せずに、そのまま死んでしまう。」

「なぜでしょうか?」

「それを考える前に、人生の転機を考えてみよう。孔子の言葉を知っているだろうか。

子曰、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。

私は十五歳のとき学問に志を立てた。
三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。
四十歳になると、心に迷うことがなくなった。
五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。

15歳から30歳までは、疑うことなく、とにかく興味のあることを学べば良い。30歳から40歳までは、学びの範囲を広げて、自分の使命に出会うまで、裾野を広げれば良い。この間は、夢中なので、人のことを気にしている余裕はない。また、謙虚さを学び、コミュニケーションスキルも学ぶ。だから、目上の人を立てる、常識を大切にするなど、社会一般常識を学ぶ時期でもある。

そして、学びを追求して40歳になった時、もし、君が、使命を実現しようと成長していくならば、それ以降は、ある程度、傲慢になるべきである。」

「ココ先生、傲慢になったら、人に嫌われるのではないでしょうか。」

「そうさ。自分の人生を歩もうとすれば、ある人からは嫉妬されるかもしれない。家族と揉めるかもしれない。人から嫌われるかもしれない。」

「僕は、人から嫉妬されたり、嫌われたりしたくありません。」

「そうさ。もちろん、誰だって、誰からも嫉妬されず、誰とも揉めず、誰からも嫌われずに生きたい。その結果、ずっと遠慮して、自分の本当の使命を実現できないのは、君の本望だろうか?」

「いえ、遠慮して、何も成し遂げられない人生はまっぴらです。」

「そうだろう。だからこそ、人から嫌われないように気をつけるのではなく、嫌われることも想定しながら、気にしないと言うことだ。相手を恐れずに、冷静に認めておくと言うこと。これは、君の覚悟が試されている。もし嫌われることを怖がって、ことを成し遂げられないとすれば、それほどの覚悟がないと言うことだ。仲間との喧嘩を怖がって、議論ができないとすれば、それほどの覚悟がないと言うことだ。私は、決して、揉めることや喧嘩することは勧めていない。しかし、批判してくる人に対して、迎合したり遠慮する必要はない。ただ、淡々と覚悟を持って、前進する必要があると言うことだ。」

「なるほど。」

「繰り返し言うが、ある一定の年齢までは、自分を導いてくれる人から従順に学び吸収すれば良い。しかし、自分の使命が見えて、自分が自立できた時には、次の成功のステップに進むためには、ある程度傲慢さを要するのだ。」

「分かりました。肝に命じておきます。」