生きづらさの先にある未来

森川すいめい先生の原本となった

岡檀先生の「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」を拝読した。

 

読むだけで、自分の心持ちが楽になった。

自殺希少地域の特徴でとても印象に残ったのが、緊密ではないけれど、頻回のコミュニケーションがキーとなっている。

このことは、自分の生き方、コミュニケーションの取り方、心の負担に大きく影響した。

サルトルの提唱する2サークルに分けて生きると一緒だ。事実と解釈に分ける。例えば私の場合、夕ご飯を作って夫と一緒に食べたと。そのときに、夫の口数が少なかった。私の料理がまずかったのだろうか。何か着に触ることを言ってしまったのか。などなど考える。後で、単に仕事のストレスだったと分かったことがあった。今では、すべて私の解釈であって、事実は、夫は夕ご飯を食べて休んだだけのことである。だから、自分が勝手に詮索するのをやめて事実だけに注目するととても楽になるのである。

このような例は実に多い。みんな、自分ではない誰かの頭の中を詮索し、どうでも良いことを勝手に想像、空想し、消耗しているのだ。すなわち、相手の頭の中に入り込んでいる。人のうち(領域)に入っているのだ。

何か親切をするときも、これが相手のありがた迷惑ではないかと思って差し控えたりする。何かお誘いを断るときも、がっかりされるのではないかと心配してりして、きちんとした返事ができなかったりする。

そんな必要はなくて、親切したかったらすれば良い。お誘いを受けられない受けたくないときは、断れば良いのだ。相手の領域に入る必要はない。

コミュニケーションは緊密である必要はない。ただ、返事をする、挨拶をする、思いやりを提供する。もっともっとシンプルで良いと思う。お陰で、大分私の意識は進化した。やはり本との出会いは素晴らしい。著書の先生方にお会いしていないのに、私の人生は、ずいぶんと変わった。感謝している。

 

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