天才が凡人に殺される時
本屋さんに立ち寄ったら、なんとも不思議な本を見かけたので読んで見た。
「なぜ、天才は凡人に殺されてしまうのか?殺されない方法は?」
という不思議な問いかけで始まる。
以前にも、秀才と天才の話をブログで書いたことがあるが、もっと多面的に捉えていて、面白いと感じた。
天才と、秀才と凡人は、評価の軸が全く異なるため、お互いに理解し合うことは困難である。
天才・・・創造性
秀才・・・論理性・再現性
凡人・・・共感性
この3者は一人の人間の中に混在している。
Aさん:天才6 秀才1 凡人3
Bさん:天才1 秀才5 凡人4
Cさん:天才1 秀才2 凡人7
という具合だ。
では、なぜ、天才が凡人に殺されてしまうのか。
凡人には、天才の能力を理解できないために、天才が無名の間は、馬鹿にして、排斥してしまうのだ。そして、凡人の評価軸は共感性のため、多くの人に支持されて、知名度があるかどうかが重要である。誰も知らないなんだか分からないものは、かっこ悪いし、よく分からないので、排除するのだ。
一方で、天才は、小さい頃から、この排除されるということを経験しているため、排除されるたびに自信を無くしてしまう。そして、凡人に理解してほしいと思っている。多数決で排斥されてしまうと立ち直れず、そのままその才能は封印されてしまうこともある。
ところが、秀才がそこに現れると、天才のことが理解できるため、凡人に伝える役割を持つことができる。ところが、秀才は、天才に対して自分にはない能力があるとして嫉妬心を抱いてしまうと、はたまた天才を攻撃してしまうこともある。
このようにして、天才は孤独で生きづらさを抱えて生きることになる。
そこで現れる救世主が、共感の神と呼ばれる人だ。凡人の中に、人の機微が分かり、誰が天才で誰が秀才なのかを嗅ぎ分けられる人物がいる。そして、恐れを手放している人。この人が現れた時、評価軸の異なる3者の橋渡しとなり、通訳の役割を果たす。そんな救世主が現れると天才は申し分なく才能を発揮し、組織全体が大きく発展する。
ところが、このような救世主が現れるかどうかは、天才の人間性にかかっている。天才の中に恐れが強く、自己顕示欲が強い場合、この共感の神、救世主に対して嫉妬心を持ってしまう。その場合、救世主を信じることができず、天才は孤独のまま死ぬことになるのだ。
人間は与えられたカードで生きるしかないのだ。
自分にはできない役割を果たしてくれる人が現れた時、その人を嫉妬して排除してしまうのではなく、自分にはないものを持っている相手に感謝することができれば、お互いに補完し合って生きていけるのだ。人間に優劣はないのだ。
物語の会話形式がなんとも、妄想チックで面白かった。