なぜ、自分のアイディアは他人のアイディアより優れているのか?

「行動経済学」と言う分野でノーベル賞を受賞したダン・アリエリーが書いた本を読んでいたら、

自前主義バイアスと言う言葉が出てきた。

人は、人が考えついたアイディアよりも、自分が初めて思いついたアイディアを貴重に思う。

他者のアイディアよりも自分のアイディアを貴重だと感じるのだと言う。

例えば、エジソンは、自分で考えて直流送電に固執するあまり、テスラが考えた交流送電を受け入れられず、激しく避難したと言う。

なぜだろうか?

なぜなのかは、よく分からないが、概して「自己肯定感」の低い人は、何か自分が〇〇の第一人者だ。とか、自分がより良きリーダーであると言うことに固執してしまうのか。承認欲求が強いのだろうか。

以前、あるメーカーの自動車の研究開発部門で働いていた知人が、夏休みに他社のハイブリッドカーを初めて乗った時に、とても、その技術に驚嘆したと言う。

他社のハイブリッドカーと自社のそのものとを比較することなく、自社製品が良いと信じて開発していたのだそうだ。

医学で言えば、一番最初に学んだのが現代医学、西洋医学であれば、それが素晴らしいと感じ、代替医療や統合医療は怪しい医療として、知識を得ようともしない医師が多い。自分が学んだ医療が一番だと言う錯覚である。世界には、もっと素晴らしい医療があるかもしれないのだ。

統合医療の世界でも、同じことが起こる。自分が開発したサプリメント、自分が開発した治療方法が素晴らしいと言って、固執してしまう。

「第一人者」とか「その分野の権威」であるとか、そういったことに固執するのも同じである。そのアイディアに固執し、「それを元に、これはここでしか学ぶことができません。」と言って、高額セミナーを売りつけるのも同じ心理である。自分が考えついたアイディアはもちろん大切であるが、それに希少価値をつけて、売りつけるのもおかしなことだと思う。

そもそも、アイディアとは誰のものだろうかと思うのだ。

本来、学問、学会とは、お互いに情報交換する場所である。自分のアイディアと他者のアイディアを交換して、より良い医療を構築して、患者さんの健康のために役立てる場所である。

とても良いと感じたことに対しても、一度、色眼鏡を外して、客観的に見つめてみよう。より良い方法や考え方に気づくかもしれない。

自分のアイディアと他者のアイディアが相まって、人のために役立つ時、人類は本当の意味で進化するのだと思う。

*今日の夜21時から、NHKスペシャルで人体 遺伝子について扱うそうだ。複数人から情報いただいて、私も見たいと思う。クリニックセミナーでよく扱っている遺伝子のスイッチ、エピジェネティクス がテーマだそうだ。興味がある方は、ぜひ、見ていただきたい。