疫学研究の限界

世の中には、分かっていないことがたくさんある。皆、自分で考えることをやめてしまっているので、本当にそうなのかと考える必要がある。

健康に関することにおいて、未知のことは多数ある。例えば、毎年、おびただしい数に新しい化学物質が作られ、それが、世に出される。農業であれば、農薬、医療であれば、薬として使用される。中には、環境ホルモンとして体内の内分泌環境を混乱させる物質までが出回るようになった。

その結果、ミツバチがいなくなり、鳥などの動物の奇形が地球のあちこちで発見されるようになった。人間に害のあるものが、商品化されるはずがないと、平和的に考える日本人は、まさか身近にあるものが健康を害するなんて考えない。しかし、もしかしたら、身近なものによって健康被害を被っている可能性だってある。ちょっと話は変わるが、福島の原発事故後の放射能の被害もまた、人体にどれだけの影響を及ぼすか分からない。

「いやいや、先生、化学物質が商品化されるまでには、ある程度、試験や研究がなされているでしょう。」と思うかもしれない。しかし、それは、動物実験においてであって、人体に対しての、測定できないような微細な影響までは試験しているわけではないのだ。短期的に影響がなくても、長期的に影響があるかどうかまでは確認できないまま、商品化されるケースが多いと推定する。

そして、医学研究において特に、疫学研究には限界がある。人の病気は、慢性疾患ほどおよそ多因子によるので、原因と結果を結論づけることが難しい。例えば、タバコと肺がんについての研究も、ある研究では因果関係を言えて、ある研究では言えなかった。これは、交絡因子という、実は、目に見えない因子が間に挟まれていることがあるからだ。例えば、タバコを吸っている人がよくお酒を飲んでいるとすると、実は、因果としてお酒の影響の方が大きい場合もある。これを研究では、調整していくことが重要なのだ。

だからこそ、疫学で研究結果が出たときには、すでに、健康被害がたくさん出ているということもありうるのだ。そうなってからでは、遅いのだ。化学物質であれ、放射能であれ、重金属であれ、病気の発症に影響している可能性がある。私たちは、自分の頭で考え、自分に必要なもの、不要なものを見極め、より自然に近い、地球の自然環境には逆らわない生き方が求められるのだ。