心地良い居場所
昨日、アーツ前橋の「表現の森」に関連したシンポジウムにスピーカーとして参加させて頂いた。
そこで、話題になったのが、
「心地良い居場所」についてだった。
昔は、たき火を囲みながら、ああだこうだ話していた。
お年寄りがたき火をたいていると、子どもが学校から帰ってきて、その輪に加わる。
自然とたき火を囲むおじいちゃんたちが防犯機能を果たしていた。
小山田徹先生(京都市立芸術大学教授)は、そんな空間を現代に再現しようと
京都で、石ころカフェというのを開いているという。石を握りながら他愛のない話をすると
何だか心が落ち着くんだとか。
アリスの広場が、目的性をあえて持たないことで、そんな井戸端的な空間を実現しているとのことだった。
無目的性、意味のない、居心地の良い場所。
そんな場所が持つ特異性を、アーティストの滝沢達史さんは、アーツ前橋の展示空間で表現されていた。
そんな隙間的な空間が、現代は少なくなっている。
家、学校、塾を往復する子ども
家、職場を往復する大人
その隙間が、心のケアにつながるのだと思う。
診察室で、患者さんが深刻そうに話す多くのことは
実は、普段、たき火を囲んで、誰かと一緒にぼそぼそ独り言のようにつぶやくことで
多くは何とでもなることではないだろうかと思ったりする。
街全体が、弾力性のあるIDOBATA空間になれば、自殺だって、うつだって、引きこもりだって
減っていくんじゃなかろうか。