障がい者というカテゴライズ

発達障がいにせよ、知的障がいにせよ、認知症にせよ、

普通ではない健康ではない特別な状態として定義する。

これらの診断に、どんな意味があるだろうか。

もし、そうだと分かったとして、医学的に特効薬があって

すぐに良くできるのであれば、診断に意味がある。

もしそうだはないとしたら、診断は意味がないのかもしれないと

思った時期があった。

むしろ、診断をつけることで、レッテルを貼ることになり、生きづらさを生み出してしまうのではないかと。

 

しかし、アズ直子さんの講演会を聞いたときに、診断は意味をなすと気づかされた。

自己理解と他己理解に役立つ。

自分はこういう状態だと、医学的に定義されることで、自己理解につながる。

そして、それを人に伝えることで、自分とのコミュニケーションを工夫してもらうよう

言語化できるのだ。

これは何も診断に限ったことではない。

自分の事を客観的に理解して、相手に伝えることで、コミュニケーションがとりやすくなる。

ここでは、100%本音だ。

このコミュニケーションのツールに自然療法としての植物療法をお互いの共通言語として使えると

感情を客観的に表現しやすくなる。

たとえば、植物療法では、ホリーという花は嫉妬や怒りが内面にあることに気づく事で愛と優しさに変えてくれるパワーを持つ。

スタッフから「先生、今日はホリーですね。」と伝えられる日があった。

何だかすんなり受け入れられる。

「先生、今日怒っていますね。」と言われると、そうはいかないかもしれない。

 

障がいにせよ、感情にせよ、自分のことを他の言語体系(医学用語や、植物療法など)で表現することで

客観的に扱いやすくなり、対処方法を冷静に考えることができる。

 

 

 

 

 

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