助けたいから助ける
森川すいめい先生の著書感想の続きです。
本の中で、面白いエピソードが紹介されていた(詳細は著書をご覧ください)。
田舎で夕食を提供するお店が近くにない状況で
ホテルのご主人が、お店まで送迎してくれたとのこと。
こちらが、悪いと思って遠慮する間もなく
もう車に乗ることになっていて、お店まで届けてくれたと。
ひとを助けるにおいて相手の気持ちをあまり気にせずに助けようとする態度。
この一文を読んで、学生時代のエピソードを思い出した。
私は、弘前大学の学生で弓道部に所属していた。
弓道場で弓を引いていると、何やら見た事のないおじいちゃんが
急に私たちの指導をしてくれた。
聞けば、OBのS先生。
都会で暮らしていたが、弘前に戻って来たという。
自分の後輩たちに弓道の極意を伝承したいとのこと。
それから、S先生とのやりとりが毎日始まった。
あるとき、ぱたりとS先生が道場に来られなくなった。
急な病に倒れて、病院に入院されたという。
あわてて、部活の仲間と共に病院にお見舞いに行った。
私たちが医学部生とのこともあって、主治医のU先生とお会いすることができた。
U先生「もう、最期が近いかもしれない。体力がある内に、もう一度、S先生に
弓道場に行かせたい。君たちで、射会を開くというのはどうだろう。」
急な話でびっくりした。
私「でも、本当にS先生は、そのことを望んでいるでしょうか。体力も弱っていますし、それは、S先生にとって、迷惑ではないでしょうか。」
U先生「ばかやろう〜」
この後、何と言われたか、覚えていない。
とにかく、遠慮している場合ではないだろうと言うようなことだった。
S先生に意向を聞いても、そんな射会なんて開かなくてよいの一点張りだった。
それでも、私たちは、企画し、S先生を囲む射会が実現した。U先生は休日に、医師として、弓道場まで付き添いしてくれた。他のどんな大会よりも、緊張し、心が震えた。私たち部員とOBの先輩方、一射一射を心を込めて引く姿をS先生はうれしそうに見てくれたのを覚えている。
やって良かった。
ひとを助けるにおいて相手の気持ちをあまり気にせずに助けようとする態度。
まさに、お節介で良いのだ。
それ以来、遠慮するという行為が、人を悲しませる場合があるということを知った。
一方で、遠慮せずに、自分が助けたいから助けるという行為が、人を喜ばせることもある。
私たちは、普段、相手の感情を配慮しすぎるのかもしれない。