病気治しではなく、人生のサポートをしたい
便利さを享受する代わりに、病気を引き受けている場合がある。
もし、この可能性に気づいていたら、避けられるものもある。
例えば、食べ物。その添加物や農薬、小麦粉のグルテンなどが原因でアレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎になっている場合がある。食べ物を変えれば、鼻炎が治ると聞いたら、みなさん、それが好物であっても食べ方を変えるのではないだろうか。
難しいのは、薬のような薬理作用ではないので、因果関係の証明が難しい。だから、なぜ食事制限をした方が良いかをあまり理解してもらえないまま食事指導してしまうと
「先生に〇〇を食べてはいけないと言われたから、我慢している。」
という発想になってしまう。
食べることは生きることだから、人の生き方を制限することはしたくないと思う。好きなときに好きなものを食べれば良いと思う。私も基本的に自分が食べたいと思うものしか食べていない。およそ、原始人みたいなものである。
もし、身体の病気を少しでも良くしたいという相談を受けたなら、食べ物の影響をお伝えしている。究極には、何を食べてもデトックスできる体づくりをすれば良いのだろう。治療もなるべく身体に負担のないデトックス治療と、自然治癒力をあげる方法を提案している。それでも、やっぱり不健康な嗜好は、変えていった方が良いのかなと思う。
でも。ふと、立ち止まって考える。
やっぱり、人の食生活に踏み込むことは、難しいし、人の人生に介入することは難しい。そんな資格が医師にあるのか、疑問である。
私には、何人も叔父さんがいたが、交通事故や、ガンで早くに亡くなった。真面目な叔父さんたちは、早く亡くなった。そして、最後に生き残ったTおじさんの存在は私にとって貴重だった。
Tおじさん。死ぬまで好きなものを食べ、吸えなくなるまでタバコを吸い、飲めなくなるまでお酒を飲んだ。
そして、晩年、お見舞いに行くと
「沙耶花、よろしく頼むよ〜」
と笑いながら、入院中もお酒を飲もうとして、看護師さんに怒られていた。
私が書いた手紙を読んで、感動してくれた。入所先でも、「看護師さんから結婚を申し込まれちゃってさ。」と恋愛妄想を楽しんでいた。認知症でも色々と妄想はあるが、物盗られ妄想ではなく、恋愛妄想なんて聞いたことがないが、なんともおめでたい妄想である。そんな生き方もあるんだなと教えてくれた。結局のところ、病気を治すのが目的ではなく、良く生きて、良く死ぬことがゴールである。どんな生き方でも本人が納得していれば良いのだ。
Tおじさんは、天国で見守ってくれているだろう。
「沙耶花、好きに生きなさい。」