自立とは何か。
先日、当院の診療方針についてブログに書いたところ、多くの反響を頂いた。
自立した健康づくりというと、頼ってはいけないと言う誤解を招くことも分かったので、詳しく説明しよう。
これは、何も医療に限ったことではない。
自分の人生に自分で責任を持つということ。
何か自分に困難と思われることが目の前に現れた時
「私は、小さい頃に母親に〜と言われたから〜。」
「私は、女だから〜」
「私は、頭が悪いから、〜」
と、自分の人生はすでに決まっていて、変えられないと思っている人たちがいる。
そうではない。潜在意識下で、今目の前にある課題に取り組みたくないので、一歩踏み出さない理由を探しているのである。
自分の人生は自分で創るのだ。
この理論は、アドラー心理学だ。
もちろん、過去のトラウマ、インナーチャイルドは癒した方が良いだろう。その上でも、やはり、今の自分は、自分が変えられるのだという価値観が大切だと思う。
その上で、人と人とが支え合う社会作りが大切だと思う。
自分が自立した上で、できることはする。できないことは人にお願いする。
逆もそうだ。人からお願いされて、できることはする。できないことは、他にお願いする。
今の社会は、極力自分だけで何とかしようとする。そして、事が重大になってから
専門家に頼る。それが、医者だったり、警察だったり、行政だったりする。
そんなに重大になる前に、家族や友人、隣近所の人に相談できたら、もっと軽く済んでいたいたでしょうに。
気軽に相談できない世の中というのは、生きづらい。それが、精神疾患の発症や自殺につながるのだと思う。
当院では、毎朝、ボウルメソッドと言って、一人ずつ1種類のフラワーエッセンスと1種類のインディゴエッセンスを選んで自分の感情をシェアする。
その時、現れるのは、あまり人に話したくない自分が抱えていることだったりもする。本人さえ気づいていない感情だったりする。
そんな感情や事柄を毎朝、何となく気軽にお互いシェアする。このことは、チームの感情整理に多いに役立っていると思う。
森川すいめい先生や岡檀さんが書かれている自殺希少地域の特徴につながる。
「病、市へ出せ」徳島県の自殺希少地域で、昔から伝わる概念だと言う。
自分の身体も心も他人任せでなく、自分事として捉えて、その上で、周りの人に、気軽に相談できると良いと思う。
依存➡介入 自立➡尊重、支援(支え合う)
私とあなたが依存的関係であれば、それは、一方が一方に対して支配的な関係になりやすい。
私とあなたがそれぞれ自立していれば、それは、お互い尊重し合い、支え合うことができる。
医師患者関係を車の運転に喩えると分かりやすい。この喩えは、以前、自治医大でお世話になった先輩から教わった。
車の運転席には、患者さんしか乗れない。アクセルもブレーキも患者さんしか踏めない。
医者や看護師は、助手席や後部座席に乗って、ナビゲーションの役割をするだけだ。
最初は教習車で、いざとなったら、助手席にいる医者は、ブレーキを踏む役割をするかもしれない。
教習車から一般車になれば、もうブレーキを踏むこともできない。
そのうち、一人で運転できるようになれば、助手席・後部座席から、医者も看護師も降りる。
そこが卒業である。
そして、いつでも心細くなったら、家族や友人、医者・看護師を車に乗せて、道案内をお願いすれば良い。
でも、あくまでも、自分の車は自分でエンジンをかけ、自分でアクセルを踏み、必要な時にブレーキを踏む。
そして、目的地はもちろん、自分で設定するのだ。
私は、あなたの車のエンジンをかけることもできないし、目的地を設定することもできない。
エンジンをかけていない車をナビして欲しいと言われたときには、無力感に襲われる。
でも、不安で、エンジンをかけられない人もいる。初めて車に乗るのは怖いのだ。
だから、私たちは、車のエンジンのかけ方、道路標識などを伝える学びの場を提供する。
学びさえすれば、みんな運転できるのだから。