自由に生きるために学ぶ
なぜ、世の中に、依存がはびこっているのだろうか。
職場でも、学校でも、病院でも
皆が自分の権利を主張し、自分ではない何かの力にすがりたがる。
今の日本がそんな風に感じられるのは私だけだろうか。
精神科診療で、これほどまでに入院医療が発展しているのは日本だけだそうだ。「死にたい」と言って、精神科医が強制入院を指示する権利があるのも日本だけだそうだ。
ある一線を超えると、自分の人生まで医療に預けてしまうことになる。
私は診察室の中にいるため、
患者さんとの会話で世の中の閉鎖的な空気を感じる。
子どもから大人まで、
「自分は、大したことができない人間で
こんな自分が生きていてもあまり意味がない。」
と考えている人がとても多い。
そして、新しいこと、創造的なことをするのは限界があって
自分にはできないと思っている人が実に多い。
実は、私自身がその一人だった.
勤務医だったころ、開業医の先生のところを見学しても
自分にはできないと感じていた。
だって、家は、資産家でもないし、お金もない。
そして、まだ経験がない。
などなど。
開業した後も、素晴らしい先生方の診療をみるたび
自分にはあそこまでできない。
と劣等感が募った。
でも、ある時、気づいた。
自分にも創造性があり、独自性を発揮してよいのだと。
それは、完璧である必要がなく、不完全な自分を認めて
やれることを楽しくやって行けば良いと。
そう思えたら、世の中とても楽しいと思えるようになった。
実は、今まで生きてきて、今が一番楽しい。
自分がやりたいと思う事を仲間と共に実現していくのはとても楽しいのだ。
「若い頃は良かった。」という人がいるが
私は、そうは思わない。
幼少期、10代、20代、それぞれに楽しくもあったが、苦しみがあった。
その苦しみは、自分は想像した自分にはなれないのではないかとう不安が根底にあったからだと思う。これは、実は、教育の弊害だと私は個人的に思う。
でも、教育を終えて、教育の枠組みを超えたとき
自分はとても自由だということに気づいた。
そして、枠を超えた時、教育を受けたことの恩恵も感じた。
教育を受けて、学んだからこそ、自由があるのだと。
世の中には、こちらが頼るほど強固なシステムはどこにもなかった。
大きな船があって、皆で安心して乗り込んだら、沈没し
自分が魚になって、泳ぎ始めた。
大海原を自分で好きなように泳いでいけばよいのだ。
世の中は不自由で、人に認められるために、資格が必要で
大きな枠組みの中で、人と同じ事をしなければいけないと
長年、教えられて来た。
でも、そうではない。
自由に生きる為に、学んだのだ。
世の中、自由なんだと気づいたら、とても楽になった。
だから、私は、医師である共に、真の社会教育者でありたいと思う。
自由に生きる為に学ぶ真の教育を実践できる社会を創っていきたい。