自分の常識を手放す
さて、人の成長とは何かを考えていると、いかに先入観、固定観念を手放すのかということが課題になる。
幼少期の親からのしつけ、学校教育により、常識とは何か、社会とは何かというのを教えられる。一方で、常識とは何かを考え、常識を覆す非常識に助けられたりする。
私は、大学を卒業し、研修医として勤務医として働いている間、あまり常識について疑うことはなかった。
しかし、医療の本質に迫った時に、学校で教わった常識が必ずしも役に立たないことを知った。
そして、常識から自分が解放されるにつれ、多くのことが分かってきた。
最近になって、気づいたことは、医学などの学問に限らず、日常生活の自分の何気ない行動についてもどうでも良いこだわりに基づいていることを知った。
例えば、「朝食を食べないと不健康になる」という常識に縛られていた時は、朝、お腹も空いていないのに、無理矢理食事を食べていたことがあった。のちに、少食や断食療法を知り、食べたくない時は、朝食を抜くと、午前中の調子が良いと分かった。
時々、患者さんから質問がある。
「先生、朝食は食べない方が良いのでしょうか。」
私が「食べない方が良い」といえば、この方は食べないのだろうかと考える。どちらでも良いのだ。私だって、朝から沢山食べる日もあれば、食べない日もある。食べたければ食べれば良い。ただ言いたいのは、自分の胃袋の要求を聞かずに、固定観念で行動するのは、不自由だということだ。
最近、私が固定観念の一つを解放した例は、食品の配達についてだ。配達を頼むのは、コストがかかって、無駄なものを買い込んでしまうと思い込んでおり、ほぼ毎日スーパーに買い物に行っていた私だった。ある時、スタッフのお母さんに勧められて、頼んでみたところ、とても便利で、質の良い食材をまとめて購入して配達してもらえるようになった。最初は、スーパーで買うよりも割高だと思ったが、家に帰ると材料があるので、自宅で食事を作る機会が増え、外食が減り、全体として食費も節約となったのだ。このことは、配達を頼んだ方が良いということではなく、どちらの選択肢も自分の前にあり、状況に応じて使い分ければ良いのだ。
先日、スタッフの一人が、クレジットカードの良さを知り、公共料金もカード払いにして、マイレージを貯めて飛行機にただで乗れたと喜んでいた。彼女は、つい最近まで、ニコニコ現金払いを常としていたのだ。クレジットカードは危険だという常識から解放され、お得に飛行機に乗れるようになったのだ。もちろん、クレジットカードのリスクはある。そのリスクと利便性のバランスを取れば良いのだ。
もっと言えば、通勤ルートについてもそうである。このルートが最も近いし便利だと思っていたが、たまに別のルートを走ってみたら、銀杏の葉が綺麗なことに気づいたりする。
以上の例から、日々、つまらない固定観念に縛られて、自分の行動を制限していることが多い。固定観念から解放されると、もっと生き方が楽になる。
診療の場では、各患者さんの面白いこだわりを聞くことが多い。でもそれを手放すことができない。
そんな時、
「まずは、騙されたと思って、〇〇をしてみたらどうですか?」
と提案する。それでも、人は、慣れ親しんだ方法を手放すことはなかなかできない。
一方で、それを手放し、新しい方法を試すことができる人は成長が早い。ダメなら、また元の方法に戻すか、別の方法を探せば良いのだ。
皆が、自分の考えに柔軟性を持った時、もっと生きやすくなるのではないかと思う。