空気を読まない
私は、「空気が読めない人」が嫌いである。
空気を読めない人とは、親しくなりたくない。なぜなら、気が利かないし、思いやりがないから。一緒にいると、悲しい気持ちになる。
私は、空気を読むとは相手を思いやることだと思っている。
そうやって人を選り好みしていくと、ほとんどの人と友達になれない。だから、私は、結構孤独で、友達は少ない。
一方で、私が空気が読めるかと言えば、不明である。
よく考えてみると、相手に「空気を読んで欲しい」というのは、随分相手に期待していることになる。言語化しないで、空気を読めというのは、とても乱暴な話である。
一方で、HSP、発達障害者の中には、空気を読み過ぎて、消耗している人も少なくない。私もどちらかと言うとそう言うタイプだ。
消耗して疲れてしまうので、私は時々、「空気を読む」感受性のチャンネルをOFFにする。
勝手に空気を読み過ぎていた視点を手放して、相手の表情や感情、思いを汲み取らずにアプローチしてみると、解決に向かうことがある。
「敢えて、空気を読まない。」
これからの時代を生き抜くためには、必要なのかもしれない。
そもそも、空気を読むとか読まないとか、読めないとか、個人の価値観の押し付けに過ぎないのだ。
相手に嫌われることを恐れず、空気に頼ることなく、本音で付き合える関係性を大切にしたい。
自分の生きやすさを追求しよう。