正義が人を傷つける時

さて、人と話すときに、正しさを基準に話をすると、コミュニケーションが成り立たないことがある。

正義とは、条件さえつければ、どんな時でも成り立つのだ。極端な例で言えば、戦争という条件下では、人を殺すことは正義である。しかし、現代社会で、それは、悪であり、罪である。

例えば、食育について話す時、白砂糖は悪いというのは正しい。それを盾にして、ケーキを食べて、楽しい時間を過ごしている人に、それを指摘して、今すぐ食べるのをやめさせる必要はないだろう。

例えば、ケーキを食べている彼女が、もしかしたら、誕生日のお祝いに食べているのかもしれない。

どんな場合も両者に正義は存在する。それが正しいかどうかは、あまり重要ではないのだ。それよりも、自分と相手のゴールを共有することが大切である。

このことは、診療でも気をつけている。来られる患者さんのゴールがどこかによって、こちらが提供する医療も変わってくる。ただ、話だけ聞いてほしい人もいれば、風邪薬が欲しい人もいる。バイオレゾナンスで体の隅々までみてほしい人もいる。様々だ。状況に応じて、対応する。もし、ただ話だけ聞いて欲しい人に、統合医療を勧めたら、それは、こちらの正義は成り立つかもしれないけれど、相手のニーズは満たされないことになる。

風邪はほとんどがウイルス感染なので、抗生剤は効かないことが多い。そして、解熱剤の使用の有無は、治癒期間に影響しないというデータがある。だからと言って、風邪薬を欲しがる人に、何も処方しないということが良いとは限らない。医者から、薬をもらって、安心する人もいるのだ。

ホイホイと薬を出し続けることもまた違うだろう。

こちらの言うことを聞く準備ができた人には、伝えていく。なぜ、抗生剤が効かないのか。解熱鎮痛剤が必要ないのか。そして、本当に必要な薬は何なのか。

皆さんは、正義を盾に相手を傷つけていませんか?正義の物差しは、自分と相手とで異なることがあります。相手の物差しを理解する必要はありませんが、相手の物差しの存在を受け入れた上で、自分の意見を伝えることが大切でしょう。