感謝する瞬間
先日、友人とお茶を飲んでいる時のこと
「私は、さやか先生が医者だったから一緒に仕事しているわけじゃない。気が合う仲間が、たまたま医者だったんだ。」
と言ってくれた。
夫もそうだし、一緒に働く仲間さえ、私が医者という肩書きを持つ以前に、人間として扱ってくれる。
それも、泣き虫で怒りん坊の女子でも許してくれる。
それが、本当にありがたいなあって思う。
もちろん、医者として日々、研鑽しているが、医者である前に、40歳女性、単なる人間なんだって、その人間と人間の付き合いをしてくれる仲間に感謝する。
人って、肩書きだけで生きていると、本質を見失ってしまうのではないかと思う。私の中に医者である顔と関根沙耶花としての顔との2つあるとすれば、以前は、患者さんの前では、医者の顔、家に帰ったら沙耶花の顔となっていたが、今では、混在しており、ほぼ一致している。
大脳新皮質があまり働かせる必要がなくなって、旧皮質の大脳辺縁系で生きることができるようになったため、いつでも、素直な自分でいられることができるようになりつつあるのだ。
それを許してくれる仲間に感謝したい。
そして、それは、医者という職業だから許されているのだと思う。医者は、患者さんに本音で話す。他の職業であれば、本音で話すこともあれば、仕事上、便宜を測ることも必要だろう。医者に、便宜が必要ないと言われれば嘘になるが、私の仕事の仕方として、自分が素直に、本音でいられることは、生きる上で最も重要なことなのだ。
時に、等身大の私を知って、ガッカリする人もあるかもしれない。それは仕方ないことだ。私は、スーパーウーマンでも、スーパードクターでもない。等身大の自分で、背伸びすることなく、正直に生きている。そんな自分のことを、私自身は好きだし、周囲のみんなのこともこの上なく好きである。
私が高校生の時に抱いた夢は
「好きな人と好きな場所で、好きなものに囲まれて生きる」
そんな夢がすでに実現している。