土用の間の妄想
妄想の続きである。
会社の社長や、病院の院長や、名経営者と言われる人たちの中で、結婚と離婚を繰り返している人に出会う。
これは、天外伺朗さんの本で学んだことでもある。
自分の中に癒されない劣等感などのネガティブ感情が強くあって、それを受け入れることができていないと、それを戦いのエネルギーに昇華する。この癒されないネガティブエネルギーを経営の力 すなわちグイグイ引っ張る支配欲に昇華させる。
この戦いのエネルギーは、昭和型リーダー像と言えるかもしれない。「黙って、俺の後ろをついてこい」的なエネルギーだ。
それでも、自分のエネルギーを発散しきれない経営者は、女性問題に発展する。
美人と結婚した上、順風満帆に見える家庭を築いた人が、なぜか、別の女性に夢中になったりする。ところが、離婚し、再婚しても、同じことを繰り返す。
すなわち、自分の中のマイナス感情がモンスターとなり、暴れ出すと、そのモンスターを癒すために、自分の中に理想の女性像を作り出し、それを周囲の女性に投影する。当然、完璧な理想な女性など存在しない。恋愛中は良いが、結婚すると、理想を投影できなくなり、破綻する。
人と言うのは、いくら、お金持ちでも、いくら美人と結婚していても、中身が癒されていない人に遭遇する。この人はいったいどこまで戦い続けるのだろう。と。
そんな人が、変化するきっかけが、自分の病気だったり、愛する人の病気や死だったり、はたまた、大事な家族との離別だったり、会社の倒産だったりする。
「いったい自分はなんのために生きているのか」
生きるとは何だろうか。自分のモンスターを見つめることになる。そうして、自分のモンスターと向き合い、この生きている間で、何をすべきか、真摯に向き合った時、
家族と、社員との間の関係性が変わり、全てが好転していくのだ。
その時、人は、本当の意味でエゴを手放し、天命に気づく。それを実存的変容という。
でも、本来は、そんな苦しい、病気や家族との離別などを経験しなくても実存的変容は可能である。自分で自分に向き合うこと。そして、家族だったり仲間だったりに感謝すること。そして、自分のためだけでなく、本当の公のために生きると決めること。そうした時に、本当に仲間と夢を共有して楽しい人生を送ることができるのだ。
私にもまだまだエゴはあるけれど、自分のエゴを通すより、仲間と夢を共有し、世の中を変えていけることの方がずっと楽しいと感じる。実存的変容なんておぞましいものではないけれど、大きな病気もせずに、楽しく人生を送っていけることを感謝したい。