何のために仕事をしているのか?
経営者は孤独であると言うコラムを何度か書いたことがある。
社長が絶大に信頼していた相手が、不祥事を働いて、結局は、組織が崩壊に向かうということは、ニュースなどでよく目にすることだ。
社長が会社を経営するということと、人間が病気を受け入れ治療するということと共通点が多い。対象が、会社か、人体かというだけで、根本は同じだと思う。
表面上、目に見えることは、社長が現場をよく見ておらず、現場に任せ過ぎていたことだったりする。
ところが、本当にそうだろうか。
ここで、サルトル先生に聞いてみよう。
O社長:「サルトル先生、経営者の中には、自分の部下が思い通りに働いてくれない。と、ものすごく支配的になる場合と、任せ過ぎて、部下が自分勝手に動いたために、組織が腐敗してしまう場合とあるように思います。会社を経営するとは、やはり、より部下を管理する必要があるのでしょうか?」
サルトル先生:「Oくん、君が見ている会社というのはそれだけかね?管理もしていないのに、経営が上手くいっている会社もあるよ。」
O社長:「そのような会社を私は、見たことがありません。」
サルトル先生:「Oくん、そもそも、会社が上手くいっていないのを、部下のせいだと思っていないかね?」
O社長:「もちろん、そう思っています。実は、私の会社も、需要が増えて、生産性が上がっているにも関わらず、部下がついてこない。支配的になればなるほど、部下が窮屈にしてしまうと考えて、今度は、現場に任せると、勝手に生産を縮小してしまう。」
サルトル先生:「Oくん、大切なことを見逃している。全ての責任は、Oくんによって引き起こされている。」
O社長:「いやいや、待ってくださいよ。私は、日々、真面目に働いていますよ。」
サルトル先生:「それは、分かっているよ。何も、君がサボっているとは思っていない。ただね、自分の身の回りに起こることは、全て自分と繋がっているということだ。だから、もちろん、部下の責任もあるが、君自身の存在から発生していることなのだ。」
O社長:「サルトル先生、全ては自分から発しているとは、もしかして、直接的なことではなくて、もっと間接的な、もっと広い意味でしょうか。」
サルトル先生:「君は、石頭に見えて、意外と勘が鋭いな。その調子だ。そうそう。表面上、君は、努力しているし、部下とも信頼関係を築くよう色々と手立てを打っている。もっと深いところだよ。君の奥底にある、恐れの感情だな。」
O社長:「ありがとうございます。褒められているのか、けなされているか。。いや、実は、今までに、同じようなことを何度か経験しているのです。その度に、部下がやめて、今度こそ、自分の思いと一致する社員を採用できたと思うと、しばらくすると同じことが起こるのです。」
サルトル先生:「同じことを繰り返している。すなわち、君の恐れが、そのようなことを引き寄せているとも言える。」
O社長:「まあ、恐れと言えば、このようなことを繰り返しているので、流石に性善説で動いていた私でも、また裏切られたらどうしようという恐れはあります。もう、人は信用しないと決めたり。」
サルトル先生:「そもそも、信頼とは何か。100%自分と同じ人間はいないわけだ。意見が異なって当たり前である。そして、部分的に信頼できれば、仕事ができるのに、全部を信頼しようとするわけだ。信頼や信用とは無関係だ。恐れは。」
O社長:「え?完全に自分の問題ということでしょうか?」
サルトル先生:「そうじゃよ。」
O社長:「勘弁してくださいよ。」
サルトル先生:「今日はこれくらいにしておこう。では、君に宿題を出す。これは、嫌かもしれないが、毎晩、夜寝る前に、30分瞑想したまえ。瞑想というか、今流行りのマインドフルネスじゃな。何かと言えば、そのまた裏切られるかもしれない社員を思い浮かべて、バーチャルな対話をするのだ。その時、君の場合は、とても恐れが強いので、色々と話して、喧嘩になっても良いが、最後に必ず感謝の言葉で終わりにすること。それから、必ず、座って目を閉じた状態で行うこと。30分以上はしないこと。」
O社長:「わかりました。」
サルトル先生の時代には、マインドフルネスという概念はなかっただろうと不思議に思ったが、O社長は、それを受け入れることにした。
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病気を治すとは、自分とは一見無関係に思う領域まで、自分ごととして扱うことである。交通事故に被害者としてあったことでさえ、自分ごととして考える必要がある。
会社の経営も同様である。自分とは一見無関係に思う従業員のことまでも、自分ごととして考える。
これは、自分を責めることとは違う。もっと、違う次元の話である。
またまた、妄想の世界が止まらなくなってしまった。続きは、また今度!