治療は強制できない

病気を治したくない人がいる。

治さない方が楽だから。

アルツハイマー病は最たる病気だと思う。もし、記憶力がそのままだったら、今まで通り若い頃と同じくらい、いろんな仕事の責任を負わなくてはならない。辛い過去も背負っていかなくてはならない。記憶力が低下すると言うことは、生きていく本能なのだろう。特に女性の発症率が高い。アルツハイマーとなれば、周りのみんなが色々と面倒見てくれるし、多めに見てくれるのだ。高齢化社会において、記憶を保持して生きていくと言うのは、人間にとって苦しいことなのかもしれない。

難聴もそうだ。今まで耳からの情報がたくさん入って、脳がパンパンになっている時、突然耳が聞こえなくなる。上司の言葉が聞こえなくなる。姑の指示が聞こえなくなる。「〇〇さん、聞こえないんじゃ、仕方ないね。」と周囲が呆れるが、本人は、それで守られているのかもしれない。また、耳が聞こえるようになったら、上司または姑の言うことを聞き続けなければならないのだから。

「がん」になって入院して、安堵する人がいる。あのまま働いていたら、僕は仕事に潰されていた。がんになって良かった。こんな人は、がんが治っては困るのだ。

でも、私は、これらの病気は、体からのメッセージだと思う。つまりは魂からのメッセージだ。

「今までの生き方ではいけないよ。あなたの生き方を変えるチャンスですよ。」

そう言って、がんになった経営者が利益ばかり追求していた思考から、人間味のある経営者に成長して、がんを克服し、人生を豊かにしていくことがある。

アルツハイマー病だって、アメリカでは、リコード法として、腸内環境を整え、重金属の解毒し、栄養療法で脳のケアをすると治る人も出てきたと言う。日本でも実践されつつある。認知機能が低下した人が、自分の脳に向き合い、それを治療し、生涯現役で生きていくことだって、可能な世の中になった。

いくら良い治療法があって、治るようになっても、本人がそれを望まなければ、役に立たない。

みんな、意味があって、病気になる。そして、それはどんな病気であっても本人に責任がある。誰も、人のせいにはできない。自分ごとにして、初めて治す事ができるのだ。

自分の病気、すなわち、自分の人生と向き合いたいと言う人は、当院で治療していく。

一方で、自分の人生に向き合いたくない人は、当院を離れていく。

それは、強制できないのだ。