いじめについて

いじめられている学生、いじめられている社会人

いじめた相手を恨んで、学校や職場に行けなくなる

 

かつて、私も程度は小さいが、いじめられたこともあり、いじめに加わった経験もある。

いじめられた時には、悔しかったし、相手をうらんだ。

いつの間にか、周りに同調して、友人の悪口を言って、いじめに加わってしまったこともあった。

子どもの頃のことである。

 

いじめられている時と言うのは、自分の感受性がすべて、いじめっ子達に向いている。悪口を言っているAくんが、近くを通るとその気配で分かった。

それくらい敏感になっている。

その時、私と話している友達BさんをAくんが無視しようとした時があった。しかし、Bさんは、全くそのことに気づかず、Aくんに話しかけ、その後Aくんも面食らったのか、普通の会話に戻っていた。

この時のこと、ずいぶん前のことであるが、克明に覚えている。

すなわち、ジャイアンはのび太をいじめるが、スネオはいじめないのだ。

 

いじめる側は、いじめられるレセプターがある者しかターゲットにしない。

このことを議論し始めると、いじめる側を擁護しているように勘違いされるかもしれない。

そうではない。

 

敏感な人たちは、他者から影響を受けすぎてしまう傾向にある。他者の考えや感情を察知し、振り回されてしまうのだ。

このことを自覚することで、自分のペースを保つ努力をする必要があるのだ。いじめる側もいじめられる側もある意味で病んでいる。

 

小さい頃、いじめられて家に帰ると、父から怒られた。

「沙耶花は、そんなざまだからいじめられるんだ。しっかりしろ。なめられるな。」

と。

父はいつだって、怖かった。そして、そう言われると、ますますどうして良いか分からなかった。

 

でも、今は有り難いと思っている。

 

今だって、私は、他者の考えや感情に影響を受けやすい。

怒っている人がいると、何か自分に否があったかと振り返ってしまう癖がある。そのとき、

「あ、この方は、私とは関係のない所に怒りの原因があるのかもしれない。」

 

バッチのフラワーレメディーではwalnutに、インディゴエッセンスでは、smoothieに助けられている。

 

人間の感情とは、複雑だなあと日々思う。

そして、その複雑な感情を38種類に分類したバッチ博士とは、いかに繊細なお方だったのだろうと推測する。