「先生」と呼ばれる者の孤独

「先生」とか「社長」とか呼ばれる立場の人たちは、しばしば孤独に陥りやすい。なぜなら、「関根沙耶花」という人格よりも「医師」という職業によって人が近づいてくるからである。本当の人間関係を築き上げるのが難しくなる。

開業して間もなく味わった孤独(といっても昨年のことだが)。それは、自分が間違いやヘマをしても、すぐにはスタッフが指摘してくれなかったこと。ずいぶん後になってから、「ああ、私があれを忘れてたばっかりに、患者さんを待たせてしまったんだなあ。」「あ、このことを片付けるの忘れたけれど、一日邪魔じゃなかったかなあ。」と気づく。気づいたときには、すでに遅い。とても寂しかった。
「なんで言ってもらえないのだろう。」しばらく悩んだ。

今なら、分かる。私が心を開いていなかったのだ。
口では、「私は抜けていることがあるので、何かあれば言ってください。」と言っていても、心は、自分の殻に閉じこもり、院長というメンツを保つのに精一杯だった。私が口で言うことと、私の本音が異なっていて、スタッフはダブルバインドの状態になっていたのだと思う。

この一年、私自身がスタッフと共に意識進化したと感じる瞬間が日々ある。
スタッフの一人に、「先生、今日はいらいらしているようですから、これを飲んでください。」とお水が入ったコップを渡された。何が入っているのか尋ねても教えてくれない。「潜在意識に働かせるので、中身は知る必要がありません。」とのこと。「はい、分かりました。」と返事をして飲む。なぜか、気持ちが切り替わって、診療を続けられる。どうやら、何かフラワーレメディーを仕込まれたようだ。
そんな私の心のケアをスタッフが先回りしてくれるようになった。とてもうれしい。

ある日はこうだ。スタッフが、朝から私の顔を見て何やら微笑んでいる。「先生、今日、診療終えたら、ご飯食べ行きませんか?今日は、上司と部下としてではなく、友達として行きましょう。」
「いいよ。でもなんで?」
「先生、なんか、無理してますよ。心配ですもん。」
涙が出るほどうれしい。私の心の状態を心配してケアしてくれているのだ。

そう私自身に「医師」ではなく「関根沙耶花」として接してくれて、「親友」として支えてくれる仲間がいるのは本当に心強い。

前の記事

相模原殺人事件

次の記事

感動が人を動かす