相手は自分の鏡

先日、TBS番組を見ていたら、神奈川県相模原市の障害者施設の殺人事件の犯人が死刑判決となったと報道された。

れいわ新選組の木村英子議員がコメントしていた。以下、その内容。自分が障害者施設にいた時に、日常的に施設職員からいじめがあった。このため、世の中に、効率主義、優生思想があり、障害を持つ者、弱者は排除されるべきと言う思想があると思う。そのような思想を代表した事件が起きただけで、何もこの事件だけが、特別なのではない。もっと根本的に考えていくべきだ。(私の解釈を含む)

植松聖容疑者の生い立ちなどにフォーカスされがちだが、この事件は、人間の思想の中に、弱い者、障害を持つ者など弱者を排除しようとする集団的無意識を代表した形の事件であると木村議員は、話していた。

だから、人間が、障害者を根っこの部分から受け入れる思想を持つ必要があるのだろう。

今回の新型コロナウイルスの騒動もそうだ。汚い者、悪い者は排除しようとする。もし、新型コロナウイルスに感染しようものなら、人様の前に出られないくらいの悪者扱いだ。

相手は、自分を反映している。

周囲に起こる悪しき事件は、決して自分の頭の中と無関係ではない。皆が、このような弱者に対する一方的な憐れみの感情を撤回し、自分も弱者の一員だと受け入れ、音痴でも笑って堂々と歌える世の中を作っていきたい。

いつから、人は効率性ばかりを求め、人と比較し、自分より弱者を見ると安心するようになったのだろうか。人間としての本質を大切にするべきだと思う。