病気になることを許す

さて、昨日の続きである。

人間というのは、神様ではないので、時々、病に倒れながら、自分の人生に向き合い、成長していく。

つまりは、病気とは、成長するためのチャンスである。

神様は、病気にならなくても、自分を成長させることができるのかもしれない。

聖人の領域になれば、楽々と自分を発展させることができるのかもしれない。

しかし、我々、娑婆で生きる人間というのは、経験から学んでいく。良いと思ったことは、果敢に挑戦し、それで、失敗したら、そこから学びやり直す。

だから、時に、病気になって倒れることがある。悩むこともある。それは、そのチャレンジが間違えた方向に行った時に軌道修正する転機となる。

その間違えた方向とは、一見、世間的に見れば、大成功に見える事もある。しかし、本人の魂の望む方向と違ったため、葛藤が生まれ、悩み、時に病気までも引き起こす。世間的な成功ばかり追求して、魂の声を無視し続けると、病気は深刻化するのだ。

天外伺朗さんに寄れば、人は、病気にならなくても成長することができるそうだ。

しかし、なかなかその領域には行けない。そのコツは、病気になる前に、自分の直感を働かせ、自分の魂に素直になることだろう。

私は、いつまでも、自分らしく、失敗を恐れず、新しいことにチェレンジし、時に倒れながら、軌道修正するそんな人間らしい人生を歩みたいと思う。そして、他人から見ての成功ではなく、自分の魂が喜ぶ生き方を追求したいと思う。死ぬまで、聖人にはなれない。