幸せを感じる瞬間

「幸せになったら、〜する。」

「お金が貯まったら、〜する。」

そう言う人もいるだろう。では、いつになったら、それは現実化するのだろうか。誰もが羨む幸せな人生を送っている人だって、日々悩み、日々苦しみがあり、もっとこうしたいと言う思いがあるのではないだろうか。

だから、現在、幸せを感じる事にられていない人は、幸せのハードルを下げると良いだろう。

今より幸せになっても、新しい苦しみも悲しみもまたやってくるのだ。完璧に何もない人生なんてない。それなら、毎日、幸せを感じたら良いのではないだろうか。

私が幸せだなって思うのは、すごく単純なこと。

*例えば、私生活で言えば

レストランに行って、値段を気にせず、ご飯を食べたりお酒を飲んだりできる時。

買い物に行って、計算せずに、欲しい物を買える時。

それくらいで、大満足。高級車に乗りたいとか、大きな立派な家に住みたいとか言う夢はない。

*それから、趣味で言えば、物作りに集中できた時。

絵を描いている時

小説を書いている時。

*仕事で言えば

スタッフが楽しそうに働いている時

患者さんが気づくよりも先に風邪症状に気づいた時

不登校の高校生が学校に行けるようになった時

 

誰かに褒められたり、感謝されたりしても、あまり嬉しいと思わない。基準はあくまでも自分にある。そして、楽しいことしかしたくないと思っている。

「仕事とは、楽しいからやるのではなく、やれと言われたら、汚いことでも辛いことでも楽しくないことでもやるものだと思っていた。」

とある友人が言っていた。

それを聞いた時、びっくりした。私もそんな時があったような気もする。しかし、一点違う点は、体力的には辛かったが、仕事は楽しかったと言う事だ。研修医の時は特段そうだった。採血だって、掃除だって、患者さんをストレッチャーに乗せて連れて行く時だって、なんだって、言われたことはやった。夜の呼び出しも、休日出勤も普通だった。毎日夜遅くて、夕ご飯を食べる時間もなくて、時に、患者用のベッドで寝たいと思ったこともあった。体力的には辛かったけど、私は楽しかった。なぜなら、未来の私がしたいことに繋がっていると思ったから。下積みでさえ、雑用でさえ、楽しかった。やりがいがあった。

そして、今の私があるのは、その楽しい下積み時代があったからだ。

今、仕事において、私が幸せを感じるのは、仲間と一緒に社会を創造して行くことができるからだ。

宇宙はビッグバンで、どんどん広がっている。

私たちだって、どんどん社会貢献し、社会をどんどん変えて行ける。

そのために、あるべき未来を仲間と語り合い、創って行く。

そんな楽しいことがあるだろうか。

これほど楽しい人生があるだろうか。

 

私は医療と教育の軸で、このことを実現して行く。

どんな些細なことだって、世の中を良くする事に繋がっている。

日々の幸せに感謝しよう。そして、自分の人生を自分ごととして生きよう。

 

一緒に世の中を楽しく創造していきませんか?