サルトル先生との会話vol.8

経営学の父と言われるピーター・ドラッカーが言った言葉

「あなたは、何と記憶されたいですか?」

そんな言葉を残している。

こんな問いをする時もある。

「あなたは、死んだ後、墓石の前で、何と言われたいですか?」

そんな言葉を聞いた時、私は、正直に言えば、どうでも良いと思ってしまった。死んだ後は自分の知るところではない。

ところが、突き詰めると、これは、自分が生きている間に、他人にどれほど影響を与えることができるか。人を変えられるかということに行き着く。

私のモットーは、他人は変えることができない。自分は変えることができる。

自分を変えるのは、世の中をより良くしたいからだ。つまり、他人に影響を及ぼし、他人を変えたいからだ。

矛盾している。

究極に、人が生きている目的は何だろう。

そこで、サルトル先生に聞いてみた。

「サルトル先生、人が生きる意味とは何でしょうか。ピーター・ドラッカーは、死んだ後で何と記憶されたいかという問いを残しています。」

「ほほう。」

「死んだ後で、自分が他人に何と記憶されたいか、というのは、突き詰めると、他人軸になるような気がするんです。」

「そうだろうか。では、君は、君自身をどう生きたいかと問えば、それは、自分軸かね?」

「はい。そう思います。自分軸で言えば、良く分かります。私は、本当に人の健康に寄与するような真の医療を取り戻したい。」

「そうだろう。Sさん。人の健康に寄与するとは、つまりは、他人が健康になることに貢献するという意味じゃな。」

「はい、そうです。」

「では、その他人が健康になったかどうかは、誰が評価するのかね?」

「それは、その人自身ですよ。」

「ほら。つまりは、君は、他者を健康に導きたいという強い意志がある。それこそは、人に影響するということだ。どれほど大きな影響を及ぼせるかが、君の生きがいになる。」

「それは、自己顕示欲とは違うのでしょうか。」

「もし、君が、有名になりたいと思って、人を健康にしたいと思うのであれば、自己顕示欲だろう。しかし、人が健康になることを、相手のためを思って貢献するのであれば、それは、自己顕示欲ではない。」

「なるほど。」

「つまり、究極的には、生きている間にどれほど他人に影響することができるかが、世の中を変える力である。それを自己顕示欲ではなく、公のために君は尽力すれば良い。」

「なるほど、サルトル先生。分かりました。実は、私は、やや遠慮していました。自分が自分がというのが嫌で、自分が伝えたいことはマニアックだから、どうせ、人に理解してもらえない。もし理解してくれる人がいれば嬉しいという程度で行動していました。ところが、今のサルトル先生の話で分かりました。自分の力を公のために使うと考えた時、遠慮は要らないと。」

「そうそう。ただ、他人を変えようと思えば思うほど変えられない。大事なことは、短絡的に結果を求めないことだ。公の意識がとても大切なのだ。」

「ふう。そう言えば、強く言えば言うほど、患者さんには伝わらず、あまり意識せずに伝えた時ほど、その真髄が伝わったりします。」

「そうそう。その調子だ。人には、人のタイミングがある。諦めずに、信じることだ。信じて、諦めない。ただ、焦らないこと。」

「はい、分かりました。」

「そのためには、君自身が成長することだ。君の成長に伴って、君が提供する医療も進化する。それに伴い、患者さん、市民の皆さんの意識変容が伴う。ただし、その変容は期待しないことだ。」

「何とも、難しいです。」

「そうじゃの。君は、なぜ、医者になりたいと思ったのだ?」

「高校生の頃、人の健康に寄与したいと。」

「そうだろ。その純粋さが大切なんだ。子供の頃に感じた夢を追求することができると言うのはとても幸せなことだ。」

「はい。初心を忘れず、頑張りたいと思います。」

「そうだな。君自身の健康を大切に、ぼちぼちな。」

「はい。サルトル先生、ありがとうございます。また、よろしくお願いします。」