うつ病が治る時

患者さんとの会話に、相手の守護霊さまが介入して来ると空想してみる。(無論、そんな声が実際聞こえるわけではない。)

「うつ病にさせてあげて〜。」

「いやいや、困りますよ。本人は治りたいって言ってますし。治すために来たのでしょ。」

「まあ、建前はそうじゃがな。」

「え〜!?建前って何ですか。こちらは、そんな軽い気持ちで来られても、困りますよ。」

「そんなこと言わずに、頼む。」

 

というわけで、うつ病患者の診療を続ける。

 

では、治すアプローチを開始するか、開始しないか。

それは、本人の同意を要する。

治りたいくない人もいる。

徹底的に戦う場合もある。

私がうつになったのは、会社のせいです。

私がうつになったのは、夫のせいです。

もちろん、伺うと、不幸なことが立て続けに起こり、それはそれは大変なことである。

傾聴する。

しかし、治そうという時に、相手に対しての攻撃だけでは治らない。

自分が変わらないと。

上司にいじめられて、会社を辞めた人が、別の会社に就職するとまた同じような意地悪な上司が現れて、いじめられる。

この人がたまたま不幸なだけだろうか。

自分が変わらないと、環境は変わらない。

無意識に皆、自分の人生を自分で選んでいる。

 

さやかクリニックは、

あなたの人生を無意識ではなく、意識的に改革することを促す。

このため、患者さんには厳しい。

 

治る準備ができていない人には、どう伝えても伝わらないのだ。

人には人のタイミングがある。

 

また、相手の守護霊さまが介入して来た。

 

「焦らない。ただ、見守ってあげてほしい。」

「分かりました。諦めず、見放すわけでもなく、見守ります。私は、ただ、もどかしいのです。どうしたら、気づいてもらえるのか。どうしたら、自分の人生に向き合ってもらえるのか。」

「君の気持ちはわかるが、本人も悩んでいる。時間を要する人もいる。このまま気づかず、病気であり続けたい人もいる。それは自由なのだ。」

「では、なぜ、私のところに来るのでしょうか?」

「私が、働きかけた。どこかで気づいて欲しいから。」

「え〜?」

「仕方ないやろ。何かキッカケが必要じゃが、結構頑固なもんだから。」

「急に関西弁!?まあ、そういうことなら分かりました。全力を尽くしますが、やはり神の領域には逆らえませんから、私は、できる限りのことは伝えます。あとは、お願いしますよ。」

「はあ。」

 

という何とも空想ぐせが出てきてしまった。